「聞くのに早く、語るのに遅く」

神様は人類初の人間であるアダムを創造してからこう語られました。「また、神である主は言われた。『人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう』」(創世記2:18)。

 神様は人間を一人で生きていける存在に創造されませんでした。この神様のデザインにより、人は家庭を築き、社会という共同体を構成します。共同体の中では、人は多くの人々と人間関係を結び、相互依存しながら生きていきます。

 共存と共生に必要な人と人とのコミュニケーションのために、神は人間に「言葉」という道具を与えられました。この「言葉」を通して、人は相手の心を理解したり、自分の意志を他人に伝えたりすることができます。神様が与えたこの「言葉」を上手く使えば、人間関係の中に平安と平和が訪れます。逆に言葉を悪用すると、葛藤と分裂が起こり、ひどい場合は地獄を味わうようになります。人間関係の辛さと悩みのせいでこの世を去る人々が毎年少なくないことからも、その深刻性が分かります。

 「言葉」という道具を上手く使えずに苦しむ人間のために、神様は親切にも言葉の使い方について聖書の中に記してくださいました。その中から、私たちがほかの人に話す時の教えをいくつか分かち合って見ましょう。神様は嘘、非難、悪口、内緒話、中傷、性的な冗談などを話してはならないと教えます。反対に、祝福、正直、真実、良い言葉、創造的な言葉、信仰の言葉などを話すように教えます。そのような良い言葉も、適切な時に、塩が塩気を出すように適切に使うべきであることも教えます。

 他の人に話す時もありますが、他の人の話を聞く時もあります。他の人の言葉を聞くことと、私が他の人に話すことのうち、どちらが優先なのでしょうか。聖書は次のように語ります。
「私の愛する兄弟たち、このことをわきまえていなさい。人はだれでも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい」(ヤコブの手紙1:19)。

 神様は聖書を通して教えています。どんな言葉を、どんな時に、どの程度使うべきなのかも重要なですが、それよりも重要なのは、他の人の言葉を聞くことです。どうでしょうか。人と対話する時、おもに聞いているでしょうか。それとも、おもに話しているでしょうか。他の人の言葉に耳を傾けて、その人を理解しようとしているでしょうか。それとも、おもに話しながら、自分の気持ちや意志を理解させようとしているでしょうか。もし後者なら、「聞くのに早く、語るのに遅く」という御言葉をじっくり考えてみましょう。愛します。