弱い器である妻

コラムに個人的なことはあまり書きませんが、今回は少し例外的にお話ししたいと思います。私は結婚が少し遅れました。すべての面において足りなかった私にとって、結婚は決して簡単なものではありませんでした。結婚適齢期が過ぎたため、家族や親戚が集まるお盆のような日は、私にとって苦痛でした。だから、親戚が集まる日には、家族を避けて出かけたりしました。家族もそんな私の顔色をうかがい、気まずい思いもしました。「なぜ私には相手がいないのだろうか」「なぜ結婚して家庭を築くのがこんなに難しいのだろうか」と深く悩みました。しかし、感謝なことに神様の御恵みにより今の妻に出会って結婚し、家庭を築くことができました。一人だったときの悩みや孤独が大きかったので、妻に出会えたことが、大きな喜びであり、感謝なことでした。結婚後子どもも3人産まれ、家族や親戚との出会いも楽しくなりました。神様を信じる信仰以外にはなにもなかった私と結婚し、環境と条件を乗り越えた妻の愛にただ感謝しました。

しかし、1年、2年と時間が経つにつれ、妻に対する感謝は少しずつ減っていきました。そして、妻の助けや愛を当然と考えるようになっていきました。牧師として恥ずかしいことですが、妻に腹を立てることもありました。このような私に神様がこの御言葉を与えてくださいました。

「同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです」(ペテロの手紙第一3:7)。

「妻は壊れやすい弱い器のような存在であることを忘れず、大切にしなさい」と神様は命じています。妻は時には強く見えますが、実は私の一言で泣いたり笑ったりする弱い女性です。これを忘れず、妻を大切にしなければなりません。

また、「妻はいのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい」と語っておられます。振り返ってみると、多くの困難の中でも、妻は妻という立場、母という立場、嫁という立場を守ってきました。そしてきょうも、その場所で最善を尽くしています。この妻のおかげで、神様が与えてくださるいのちの恵みをともに受けています。私が妻を尊敬しなければいけない理由です。

夫である皆さん。私だけが妻の愛と献身を受けているのではありませんね。皆さんの奥様たちもまた、今まで皆さんを助けながら、その立場を黙々と守って来られたことでしょう。きょうは夫である私たちが、弱い器である妻たちにこのように話しかけてみてはどうでしょうか。「足りない私と結婚してくれてありがとう。」「長い間私と過ごしてくれてありがとう。」「腹を立ててしまってごめんなさい。」口で話すのが恥ずかしいなら、家に帰る前に奥様が好きなものを買って、プレゼントしてみてください。温かい一言、愛のこもった小さなプレゼントで、妻たちはまたその場所を守りながら生きていく力を受けることでしょう。このコラムを口実に、私も妻に告白します。「ありがとう。愛してるよ。」