神様であるイエス様は私たちに信仰と神の御国のための働きを与えてくださいます。イエス様が私に与えられた働き、これを「使命」と呼びます。「使命」は伝道、宣教、奉仕、教育、救済、聖書研究など様々です。イエス様の恵みと愛にとらえられた信仰者は、自分に与えられた使命を果たすために熱心になります。しかし、この熱心には注意も必要です。
1. イエス様の御心にかなう熱心
ペテロは十二弟子の中でもリーダーグループに属しました。彼は「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」とイエス様がお尋ねになると、「あなたは生ける神の子キリストです」と答えて、イエス様に称賛されます。ところが、しばらくすると、ペテロはイエス様に激しく𠮟られます。イエス様の御心を理解せず、イエス様を愛する熱心がありすぎて、イエス様が歩むべき十字架の道を妨害したからです。人類の罪の赦しと救いのために十字架の上でご自分のいのちを差し出すことがイエス様の御心でしたが、ペテロはこれを妨げようとしてしまいました。私たちの熱心はイエス様の御心にかなう熱心でなければなりません。
2. 聖霊様の導きに従う熱心
異邦人宣教を使命として受けたパウロは、3回の宣教旅行を通して各地にイエス様の御言葉を宣べ伝えました。パウロはイエス様から受けた使命を果たすために自分のいのちを惜しみませんでした。その結果、あちこちにイエス様を信じる人々が増え、信じる共同体である教会が生まれました。パウロには素晴らしい点がありました。それは聖霊様の導きに従ったことです。パウロは自分の思いではなく聖霊様の御心に聞き従いました。聖霊様が禁止される所には行かず、許された地域に移動しました。イエス様のためにいのちを捨てようとする瞬間も、聖霊様が許されないとその熱心を抑えて聞き従いました。その結果、神様の御力により多くの実が結ばれ、神の国が広がりました。私たちの熱心は聖霊様の導きに従う熱心でなければなりません。
3. 神様が定めた秩序に従う熱心
イエス様に呼ばれて使命も与えられると、人は高慢になりやすいです。自分の使命と熱心によって目が閉ざされ、傲慢になってしまった信仰者は、教会の秩序、神様が立てた霊的秩序を無視して自分の思いのままにしようとする場合があります。個人的な経験を分かち合います。イエス様が出会ってくださり、イエス様に対する愛と熱情が強かった時期でした。日曜日の夜の礼拝に30分程賛美する時間があり、9名の賛美チームが賛美を導いていました。その賛美チームの一員になって神様に賛美したいという思いがあって、私は毎週早く行って前の席に座り、神様に祈りつつ賛美を熱心にしました。ある日、賛美チームのリーダーである牧師が私を舞台に呼びました。そして、賛美チームの真ん中である自分の隣に立たせて、一緒に練習をさせてくださいました。でもしばらくすると、牧師は私を賛美チームの端っこに移動させました。そして、私のマイクのボリュームは小さくなり、私の声はほぼ聞こえなくなりました。そのようになった理由は後で分かりました。私以外のチームメンバーは牧師のリードと他のメンバーの声に合わせて自分の声を出していました。しかし、私は熱心のあまり、自分の声を大きく出してしまい、後方の音響エンジニアが私の声を小さくしたのです。神様は秩序の神様です。使命を与えられた信仰者はその秩序に合わせなければなりません。
4. 神様のための熱心
使命のために熱心に仕えていると、びくっとする時があります。最初はイエス様のための熱心だったのに、いつの間にか自分のための熱心に変質していることを発見するからです。イエス様のために働いていると思っていたのに、心の奥深くには自分の名誉を高めようとする心を発見する時があります。この思いを発見したら早く心をイエス様に立ち返らせなければなりません。
愛する皆さん。皆さんはイエス様に選ばれて、導かれて、働きをする神様の人々です。イエス様から頂いた使命を果たすために、正しい熱心を持って神様に栄光をささげる信仰者になりますよう主の御名によって祝福いたします。愛します。