聖書のすべての御言葉は、聖霊の感動によって記録された、正確で間違いのない神様の御言葉です。神様はこの聖書の中の「箴言」に、私たちがこの世を生きて行くにあたって知っておくべき知恵を記録してくださいました。
神様は箴言1章2節~4節に、箴言を私たちに与えた目的を明らかにしています。
「これは、知恵と訓戒を知り、悟りのことばを理解するため、義とさばきと公正において、訓戒を受けて、さとくなるため、浅はかな者を賢くし、若い者に知識と思慮を得させるためのもの」(箴言1:2~4)。
これによると、神様が御言葉を与えた目的は、1つ目に、私たちが知恵であるイエス・キリストの知恵と訓戒を知るためです。2つ目に、イエス様の御言葉を理解するためです。神様の御言葉を理解する力を与えるためです。3つ目は神様の義とさばきと公正を体得した人にするためです。4つ目は、浅はかな者に知識と思慮を与えるためです。
この箴言をよく黙想すると現れる結果が5節にあります。「知恵のある者は聞いて洞察を深め、分別のある者は導きを得る」(箴言1:5)。
知恵ある者は御言葉を聞いて洞察を深めます。分別のある者は導きを得ます。驚くべき御言葉です。知恵の御言葉を聞き、悟りを得る者は導きを得ます。導きを得るというのは、どういう意味でしょうか。神様の教えと導きを受けるという意味です。 英語の聖書では、この導きが「wise counseling」と翻訳されています。神様の御言葉、神様の訓戒を受ける人に現れる結果は、知恵と悟りを得、悟りを得た人は神様の教えと訓戒、そして導きを得るようになるという意味です。
神様は私たちに教えと訓戒を与えます。戒める時もあります。知恵ある人はこの教えと訓戒を受けます。教えと訓戒を喜んで受ける人には、神様が教えを与え続けます。つまり、教えは受ければ受けるほど、喜んで受ければ受けるほど、さらに受けるようになるのです。
神様が頻繁に戒める時には理由があります。同じ御言葉が何度も私たちに臨む場合は、その理由があります。私の心がかたくなになり、神様が予防策として前もって戒めを与えることもあります。私たちが罪に誘惑され、闇の中にいる時に戒めを与えることもあります。神様が教えを与える時、訓戒や戒めを与える時、それを感謝して受け入れ、もっともっと神様の教えと導きを受ける恵みがありますようお祈りいたします。愛します。