イエス様は私たちの最高の自慢です。イエス様は私たちの代わりに十字架で死なれ、私たちの罪を赦してくださったからです。イエス様は私たちの最高の自慢です。イエス様は私たちに救いをプレゼントしてくださったからです。イエス様は私たちの最高の自慢です。イエス様によって私たちは永遠のいのちを受け、天国で永遠に生きるからです。
使徒パウロは次のように告白しました。「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です」(ローマ人への手紙1:16)。パウロは福音を恥とは思いませんでした。誇りに思いました。福音が自分を罪と死とやみの力から解放し、罪の奴隷だった自分を光の子にし、死んで地獄に行くしかなかった自分を天国で神様とともに永遠に生きる恵みを与えたからです。それだけではありません。自分だけでなく、この福音を信じるすべての人に救いがあることをパウロは知っていました。だから、使徒パウロは「わたしは福音を恥とは思いません」と告白したのです。
パウロに救いを与えた福音、信じるすべての人に救いを与えるこの福音は、イエス・キリストです。つまり、使徒パウロが「私は福音を恥とは思いません」と告白したのは、「私はイエス様を恥とは思いません」と告白しているのと同じです。
当時、ローマの人々とユダヤ人、そして異邦人の多くは「大工」という職業のイエスという一人の青年が、自分たちを救うメシヤであり、神であることを信じたくありませんでした。信じないだけでなく、イエス様をあざけり、十字架につけました。また、イエス様が福音であることを伝える人々も嘲笑い、蔑みました。蔑まれた多くの伝道者たちは、人々にイエス様を伝えることをためらい、時には恥と考えたかもしれません。しかし、使徒パウロは堂々と叫びました。「私はイエス様を恥とは思いません」と。
皆様はどうですか。使徒パウロのように福音であるイエス様を信じ、恥と思わず、堂々とイエス様を伝える恵みがありますように。福音であるイエス様には、信じる全ての人に救いを得させる力があります。 救いに至る道は、イエス・キリストしかありません。他の道はありません。福音であるイエス様を信じる信仰こそ、人が救いを得られる唯一の方法です。信仰によって受けたその救いは永遠です。一度受けた救いは決して変わりません。サタン(悪魔)が来て、「おまえの救いは永遠ではないさ。お前がそんな罪を犯しているのに天国に行けるとでも思うのか」と惑わそうとする時もあります。そんな時は、「サタン、退け。私は信仰によって救われた義人だ」と宣言しながら、もう一度福音の力を回復する恵みがありますように。
福音、つまりイエス・キリストが救いを与える神の力であることを確信し、イエス様を恥と思わず、自慢しながら、堂々と伝道し、最後まで力と喜びがあふれる人生を生きる恵みがありますよう祝福いたします。愛します。