イエス様はこの地に来られ、天の御言葉を教え、病人を癒し、仲間外れの人々や孤独な人々と愛を分かち合われました。イエス様はこのような働きを、一人ではなく人々とともに行われました。イエス様は天に上られた後にもご自分の代わりに神様の働きを行う人々を選び、訓練されました。その人々を十二使徒、また十二弟子と呼びます。
死からよみがえられたイエス様が昇天した後、世に残された十二使徒に聖霊が臨みました。聖霊の権能と力を受けた使徒たちは、イエス様が行われた御業を行いました。病人を癒し、貧しい人々を助け、神様の愛を実践しました。しかし、彼らに問題が起こります。奉仕と救済の働きが多くなるにつれ、神様に祈り、神様の御言葉を教える働きがおろそかになってしまったのです。
問題意識を感じた使徒たちは、イエス様を信じて従っていた弟子たちを集め、次のように話します。「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします」(使徒の働き6:2~4)。
そうしてイエス様を信じている弟子たちの中から、御霊(聖霊)と知恵とに満ちた七人が選ばれました。彼らは使徒たちの代わりに、人々を助ける奉仕と施しの働きをしました。そして、使徒たちが祈りと御言葉の奉仕に集中するようになると、イエス様を信じる人々がもっと増えていきました。
私たちの教会、光塩キリスト教会は、漁業と農業の地域である南三陸町にあります。津波被害による復興工事も進行中です。高齢化と人口減少により労働力も足りない地域です。だから、牧師である私にとって、隣人を助ける奉仕や救済は絶対に必要な活動です。わかめとめかぶのシーズンには、腕が必要な漁師さんたちと海に行きます。力が弱くなったお年寄りの代わりに草刈りもします。津波被害によって今も苦しむ人々を訪問し、神様の愛を伝えることもします。
しかし、牧師である私が優先順位を置くべきことは、祈りと御言葉の奉仕、つまり御言葉をしっかりと黙想し、研究し、正しく教えることです。牧師が祈りと御言葉の奉仕に専念しなければならない理由は何でしょうか。祈りは目に見えない一番強力な奉仕からです。祈ると神様が住民たちを助けてくださるからです。御言葉の奉仕が重要な理由は、救いに至る信仰、つまりイエス様を救い主として信じる信仰は、御言葉を聞くことから始まるからです。「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです」(ローマ人への手紙10:17)。
祈りに励む牧師になろうと思います。御言葉に励む牧師になろうと思います。皆さんは聖霊と知恵に満ちたイエス様の弟子になり、奉仕と救済と教会の様々な働きをしてください。愛します。