不安障害、パニック障害、対人恐怖症、うつ病などの精神病理学的用語が、ニュースや新聞などから頻繁に聞こえてきます。華麗な生活の裏に隠された孤独と、いつ大衆にそっぽを向かれるか分からないという不安からパニック障害になり、対人関係が難しくなったという芸能人の話、裕福な家庭で生まれ、何不自由のない人生を生きていても、うつ病になって精神科のカウンセリングを受けたり、薬物に依存して人生が崩れてしまった話など、いろんな話が聞こえてきます。このような精神障害の主因は、ストレスによって起こる不安や恐怖です。恐怖や不安を統制できなくなると、心だけでなく、身体や人間関係にも問題を起こします。
不安や恐怖が自分に与える影響について、聖書の中の人々は次のように記録しています。
「私はしびれ、砕き尽くされ、心の乱れのためにうめいています」(詩篇38:8)。「私には安らぎもなく、休みもなく、いこいもなく、心はかき乱されている」(ヨブ記3:26)。「私は思い出すとおびえ、おののきが私の肉につかみかかる。」(ヨブ記21:6)。「恐れとおののきが私にふりかかり、私の骨々は、わなないた」(ヨブ記4:14)。心の乱れや不安は、ため息をつかせ、安らぎと憩いを奪い、さらには私たちの体と骨にも悪影響を及ぼします。だから、私たちに訪れた不安や恐怖をできるだけ早く、そして完全に克服する知恵が必要です。
では、どうしたら、不安や恐怖から解放されることができるのでしょうか。どうしたらすべてが急変するこの世の中で、心の平安を維持することができるでしょうか。心に恐怖が襲ってくるとき、聖書の人々は次のように宣言しました。「見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた」(イザヤ書12:2)。「わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを」(詩篇42:5)。
この叫びには共通点があります。それは苦難の中でも自分を助け、救ってくださる絶対的存在に信頼したことです。困難の中でも、その絶対的存在が自分の力になってくださることを信じたことです。そのようにして彼らは不安と恐怖を、喜びと平安に変えました。
不安や恐怖を追い出す方法は、私たちを愛しておられる神様を信じ、信頼することです。顔をあげて神様を見つめることです。目の前の苦難ではなく、私たちを愛し、助けてくださる神様を見上げるなら、不安は消え、平安と喜びが訪れます。聖書はこの唯一の神、創造主、変わらぬ愛で私たちを愛しておられる神様が、人間のからだでこの地に来られ、私たちの代わりに十字架で死なれたと記録しています。その方がイエス・キリストです。「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します」(ヨハネの手紙第一4:18)。イエス様は、ご自分のいのちを捨てて、私たちへの愛を証明してくださいました。イエス様は愛です。イエス様の大きな愛が、皆さんの不安や恐怖を締め出してくださいますように。愛します。