「本質」

「本質」とは、「ある物事の根本的な性質、要素、またはその物の本来の姿」という意味です。だから、本質を失うということは、その存在の意味と価値を失うということです。

ラーメン屋の本質は、お客に美味しいラーメンを売ることです。ラーメン屋はラーメンを売る所ですので、名前もラーメン屋です。ラーメン屋が職人魂でお客に美味しいラーメンを提供することに集中すれば、遠い所からお客が訪れるようになります。しかし、美味しいラーメンという本質に集中しても、思ったよりお客が増えない場合もあるはずです。この時、ラーメン屋の社長は本質を投げ出してはいけません。時が来れば自分のラーメンが認められるだろうという確信をもって、忍耐しなければいけません。  

ラーメン屋でも店の本質を守るために努力します。だとすれば、教会はどうでしょうか。教会は、人々の救いと神様との交わりのための霊的な場所です。霊的ないのちが関わっている場所です。ですから、教会は、教会の本質を守るためにもっと注意しなければいけません。  

では、イエス様が立てられた教会の本質とは何でしょうか。また、教会の本質を失わないために必要なことは何でしょうか。教会の本質はイエス様ご自身です。教会の頭はイエス様であり、教会はイエス様のからだです。だから、教会は神様であるイエス様に礼拝と賛美と祈りと栄光をささげる場所です。そして、イエス様の御言葉を学び、聖霊様の中で美しい交わりをする場所です。教会がこの本質を守るために必要なものは、神様の御言葉、そして、その御言葉に対する確信と従順です。  

教会はこの世にあるため、教会にも世の誘惑が襲います。その誘惑のせいで、人々が好きなこと、人気を得られることをしていきたいと考えたり、揺れたりしてしまう場合もあります。しかし、教会がそのとき教会の本質を失って、浮き世の垢にまみれてはいけません。教会は教会としての本質を守り、世の文化や価値観を正しい方向に導いていかなければならないのです。そのために教会に必要なのは、神様の御言葉です。神様の御言葉は、教会の本質を守る基準であり、力です。神様の御言葉がない教会は、世の波風にすぐに揺れてしまいます。しかし、神様の御言葉の上にしっかり立っている教会は、荒波が来てもただ神様を見上げて進みます。  

荒波の中で本質を守ることは、そんなに簡単ではありません。世の人々から非難や嘲りを受ける場合もあります。厳しい教会だ、律法主義的な教会だ、と非難される場合もあります。今朝、詩篇119篇を通して励まされました。「どうか、私から、そしりとさげすみとを取り去って下さい。私はあなたのさとしを守っているからです」 (詩篇119:22)。  

そうですね。この詩編の著者のように、本質を守るためには、非難にも乗り越える信仰と大胆さが必要です。イエス様が建てられた教会の本質を守り、世の非難も乗り越えて神様に向かって行く教会、その教会が光塩キリスト教会になりますように。そして、皆さんもイエス様を信じる人として、本質を守る恵みがありますようお祈りいたします。愛します。