信仰の共同体はどうあるべきだと思いますか。聖書は、益となる共同体と害になる共同体があると語っています。使徒パウロはコリント教会に向かって。「ところで、聞いていただくことがあります。私はあなたがたをほめません。あなたがたの集まりが益にならないで、かえって害になっているからです」(コリント人への手紙第一11:17)と話します。コリント教会の聖徒たちがどのように行っていたため、このように語られたのでしょうか。
その当時、コリント教会には争いや分裂や罪が蔓延していました。コリント教会にあった分裂の原因の一つは、食べることに関する問題でした。その問題は、つまり、経済的な問題です。金持ちと貧しい人の間の葛藤は、食べ物の問題に代表されます。コリント教会には金持ちと貧しい人の間に、葛藤と分裂がありました。貧しい人も金持ちも、沢山持ってきた人も少ししか持ってこなかった人も、公平に食べ物を分け合って食べなければなりませんが、コリント教会はそうすることができませんでした。食べ物をたくさん持って来た人々、経済力のある人々が、より多くの食べ物を食べたり、また自分が持ってきた食べ物を一人で食べたりして、貧しい人たちをはずかしめました。そのせいで、金持ちと貧しい人との間に分裂が生まれました。使徒パウロは教会に分裂があることを聞き、ある程度は教会の状況を知っていました。そのため、分裂があるコリント教会は、褒めることができないと話しているわけです。
信仰共同体である教会が、互いに害となる集まりになっている最大の原因、それは分裂です。分裂は紛争であり、争いです。教会に争いが起こって分裂すると、結局は教会の構成員が損をします。悪に満たされた世の中で世の光と塩となって生きるために、神様の御言葉に従って生きるために霊的に戦っている神様の人々が、力や慰めを受ける場所が教会です。教会の中に分裂があれば、疲れているたましいが安息と慰めを受けることができません。人間は霊的存在であるため、たましいが神様の霊的マナを受けるべき教会でストレスを受けるのは、言葉にでkないほど苦しいこと、辛いことです。
では、信仰の共同体である教会が、益となる共同体、神様から安息と慰めを受ける共同体になるために必要なことは何でしょうか。聖書は次のように語ります。「互いに愛しなさい。」「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」「できる限りすべての人と平和を保ちなさい。」この御言葉をつかんで、神様の共同体、信仰の共同体、愛の共同体である教会を分裂させようとしているサタンの戦略に勝ち、互いに愛し、平和を保ち、慰め合い、励まし合い、祈り合う共同体、光塩キリスト教会になるように主の恵みを求めます。弱い人や貧しい人をはずかしめるのではなく、きめ細かい配慮と愛があふれる光塩キリスト教会になりますように。愛します。