答えは祈りです

 イエス・キリストはマリアの息子で、平凡な大工として田舎のナザレという町で30年間黙々と過ごされました。30年経って神の時が来ると、イエス様は罪人である人間を救う働きを始められました。人々に天国の福音を教え、弟子たちを集めて訓練させました。病人を癒やし、数多くの奇蹟を行われました。イエス様に力があるという噂が広がり、イエス様のもとに訪れる人々が絶えませんでした。だから、イエス様は休む暇も、ゆっくり食事する時間も足りませんでした。イエス様はいつも疲れていたはずです。イエス様が弟子たちを休ませたという次の聖書箇所からもそのことが分かります。「するとイエスは彼らに言われた。『さあ、あなたがただけで、寂しいところへ行って、しばらく休みなさい。』出入りする人が多くて、食事をとる時間さえなかったからである」(マルコの福音書6:31)。このように休む暇もない働きによって疲れておられましたが、体の疲労よりイエス様を苦しめるものがありました。それは、愛する弟子たちの裏切り、ご自分が創造した人々からの無視と迫害、そしてこれから迎える十字架の死に対する恐れでした。

 イエス様はどうなりましたか。肉体的そして心理的な苦しみによってすべてを諦めたのでしょうか。違います。イエス様は肉体の疲労、心理的な苦しみ、死に対する恐怖にもすべて勝利されました。イエス様は疲れの中でも休まずに働かれました。イエス様はご自分を裏切る弟子たちを最後まで愛されました。イエス様は死の恐怖を越えて十字架の上でご自分のいのちを差し出されました。そして、神の栄光の中でよみがえられました。

 なぜこんなことが可能だったでしょうか。イエス様はなぜどんな時にも構わずに来る人々に変わらぬ愛を施すことができたでしょうか。イエス様はどうやってご自分を裏切る弟子たちを最後まで愛することができたのでしょうか。イエス様は何をしたため、ご自分のいのちを奪う人々のために十字架に上ることができたでしょうか。

 疲れて辛くなるたびに、イエス様が必ずなさったことがあります。恐怖と挫折と裏切りが襲うたびに、イエス様が必ずなさったことがあります。それが祈りです。「さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた」(マルコの福音書1:35)。「そしてご自分は弟子たちから離れて、石を投げて届くほどのところに行き、ひざまずいて祈られた」(ルカの福音書22:41)。「イエスは苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた」(ルカの福音書22:44)。

 そうです。答えは祈りです。肉体の疲労に勝つ力を与えてくださいとイエス様は祈られました。ご自分を捨てて逃げる弟子たちを最後まで愛する力を与えてくださいとイエス様は祈られました。死の恐怖を乗り越えて私たちの代わりに死を迎える力を願いつつイエス様は祈られました。そして、イエス様は勝利されました。

 イエス様も夜明け前からひざまずいて切に祈られました。だとすれば、私たちはどうするべきでしょうか。イエス様のように祈りの場に進み出ましょう。祈りの場に進み出て、神様の恵みと力を求めましょう。そうすれば、神様はすべての苦難を乗り越える力と敵をも愛せる力を与えてくださると信じます。愛します。