“I am special” “But I am not special”

 私たちは特別な存在です。創造主である神様がご自分のかたちに私たちを造られたからです。私たちは貴い存在です。神様であるイエス様がご自分のいのちを捨てて私たちを救ってくださったからです。私たちは守られ、導かれる存在です。聖霊様が今も私たちを見守っておられるからです。私たちは愛されている存在です。神様は私たち一人一人の名前を知っておられ、私たちの髪の毛の数も数えているほど私たちを愛しておられるからです。

 創造主である神様の作品であり、イエス様の羊であり、聖霊様に導かれる存在なので、私たちは自分に対して“I am special”という認識を堂々と持つべきです。自分は創造主によって造られて、選ばれ、罪から赦され、そして今も愛されているという事実を信じて確信するようになると、自分は無価値で役に立たない存在ではなく、何とも比べられないほど貴重な存在であることを悟ります。この悟りは自分を愛するきっかけとなり、さらには苦難に勝利する特別な力となります。恐れを平安に、悲しみを喜びに、暗闇を光に、苦難を自己成長のきっかけに変える原動力となります。イエス様が私を愛され、私とともにおられるため、自分には乗り越えれない試練はないという自信が人生を変えるのです。  コリント人への手紙10章13節です。「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」

 こんなに貴い存在である私たちが忘れてはいけないもう一つのアイデンティティがあります。それが“But I am not special”です。神様によっていのちある存在に造られる前まで、私たちはいのちのない土に過ぎませんでした。イエス様の十字架によって罪の赦しと救いを受けるまで、私たちは地獄に行く罪人でした。聖霊様の導きと保護がなければ、私たちは今もいのちを落とす絶壁に向かい、オオカミに狙われる愚かで幼い羊のような存在に過ぎません。イエス様の愛を受けると、神様の祝福が豊かに注がれると、聖霊様の導きを強く受けると、私たちはすぐに高慢になります。“I am special”という認識のせいで高慢になっているなら、早く“But I am not special”という元のアイデンティティを思い出し、謙遜に戻る必要があります。

 コロナによって全世界が苦しんでいます。“I am special”という思いで、自分だけが、私たちの教会だけが感染から守られると思うなら、それは大きい勘違いです。“I am special”というアイデンティティの中で“But I am not special”という謙遜な心を維持しましょう。愛します。

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