伝道のために教会の良い行いを知らせる

 教会が非営利団体や公共機関に、お金や物品などで神様の愛を流す場合があります。その度に必ず受ける質問があります。その団体が発行する広報に、寄付者として教会の名前を掲載してもいいですかという質問です。皆さんはどうしたらいいと思いますか。教会の名前を載せるほうが正しいのでしょうか。それとも、密かに行うべきで教会の名前は掲載しないほうがいいのでしょうか。

 イエス様は次のように語られました。「あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです」(マタイの福音書5:14~16)。

 「あなたがた」とあるので、イエス様が信仰の共同体である教会に話していることが分かります。イエス様は教会を「世の光」「山の上にある町」「明かり」と呼び、その光を人々の前で輝かせなさいと命じています。また、その意味と目的も具体的に教えています。「人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。」

 光を輝かせるという意味は教会の良い行いを人々に見せることで、その目的は彼らがそれを見て神様を信じて神様に栄光をささげるようになるためです。簡単に言うと、伝道のために教会の良い行いを知らせなさいということです。

 このイエス様のみことばから、前の質問に対する答えが分かります。そうです。伝道のために教会の良い行いを知らせるのは正しいことです。イエス様がそう命じたのに、牧師と皆さんが意識的に教会の良い行いと名前を隠すなら、それはイエス様のみことばに聞き従わないことになります。

 私たちの心の奥には、「良い行いを密かに行うほうが素晴らしいことではないか」という価値観があります。だから、私も「いいえ、載せなくても大丈夫です。私たちは教会を宣伝するために寄付したのではないので」と答えたい気持ちがあります。なぜなら、そのほうが恰好良く、彼らも私を素晴らしい牧師、謙遜な牧師と考える可能性があるからです。しかし、私たちはイエス様のみことばを基準にするべきです。もちろん、掲載してくださいと答えたら、わずかな寄付で教会の名前を宣伝しようとしていると人々から誤解されるかもしれません。しかし、神様の愛を示して人々を伝道するためには、「はい、掲載しても大丈夫です」と答える必要があるのです。

 今回は伝道のために教会の良い行いを見せることは正しいということをイエス様から学びました。では、教会ではなく個人の場合はどうでしょうか。個人の場合は、教会とは異なる部分があるため、知らせずに隠れて行うほうが良いとイエス様は教えます。これについては、次回分かち合いたいと思います。愛します。

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