しばらく立ち止まって振り返り、感謝しよう。

ダビデは羊飼いでした。神様はそんな彼に油を注ぎ、イスラエルの王としました。ダビデは弱い少年でした。ダビデは鎧かぶとを着れないほど体が小さかったのですが、神様は彼に巨人ゴリアテを倒す力と栄光を与えられました。ダビデはサウル王の嫉妬と自分の息子であるアブサロムの反逆によって命が脅かされました。しかし、神様は彼を守り、すべての苦難から救ってくださいました。

神様の大きな恵みを受けて即位したダビデは、残念なことに重い罪を犯してしまいました。自分の部下の妻と寝て、さらに彼女を奪うため部下を激戦地に立たせて間接的に殺すように命じたのです。現代的に表現すると、ダビデは不倫と殺人教唆の罪を犯したということです。ダビデは大きな罪を犯してしまいましたが、それでも、ダビデが心から悔い改めると、神様はダビデの罪を赦して下さいました。自分が犯した罪の代価は払わなければなりませんでしたが、神様はダビデを赦し、引き続きダビデがイスラエルの王として神様と国と民に仕えられる恵みを与えられます。

このように神様の油注ぎ、神様の守りと導き、神様の赦しの恵みを受けたダビデは、こう告白します。「わが神 主よ なんと多いことでしょう。あなたがなさった奇しいみわざと 私たちへの計らいは。あなたに並ぶ者はありません。語ろうとしても 告げようとしても それはあまりに多くて数えきれません」(詩篇40:5)。ダビデは神様から受けた恵みとあわれみが数えきれないほど多いと言っています。ヨハネの福音書で使徒ヨハネは、「イエスが行われたことは、ほかにもたくさんある。その一つ一つを書き記すなら、世界もその書かれた書物を収められないと、私は思う」(ヨハネの福音書21:25)と記します。

そうです。神様がこの宇宙万物を創造されてから今まで、私たちのために行われた御業と恵みは数えきれないほどあります。 しばらく立ち止まって人生を振り返って見ましょう。そうすれば、私たちが歩んできたその人生に、はっきりと残っている足跡があるはずです。その足跡を見ると、一所懸命歩んできた私の足跡だけしかないと思うかもしれません。しかし、もう少し近づいて見てみてください。その足跡は私の足跡ではなく、私を背負って私の代わりに私の罪と苦難の十字架を負って歩まれたイエス様の足跡であることが分かるからです。

神様はダビデだけにこの愛と恵みを与えられたのではありません。神様であるイエス様は、私たちにも数え切れないほどの恵みと祝福を満たして下さいました。罪と闇で苦しんでいた私たちを、ご自分の血しおで救ってくださいました。私たちはイエスの血しおによって罪が赦され、再び神様の子となることができました。その愛を忘れて神様の御言葉に逆らい、ひそかに罪を犯してきた私たちを赦し、もう一度立ち上がらせて下さいました。さらに、ご自分の美しい御業に私たちを参加させ、喜びと平安と栄光も与えてくださいました。

神様がすでに与えられた恵みを覚えて感謝するのではなく、満たされなかったことを恨んではいないでしょうか。神様に感謝を失っていないでしょうか。もしそうなら、一度立ち止まり、主がこれまで与えられたすべての恵みを静かに思い出してみましょう。立ち止まって振り返ると、主が与えられたすべての恵みと祝福が見えるようになり、もう一度主イエスに感謝できるようになります。主だけで満足し、主が与えられた恵みによって涙を流したその瞬間に戻り、感謝の賛美をささげられるようになります。少し立ち止まり、イエス様が与えてくださった祝福を思い出して感謝しましょう。そうすれば、イエス様がこれからも私たちに油を注ぎ、豊かな恵みと愛で導いてくださると信じます。愛します。

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